オホーツク文化とモヨロ貝塚(編集後) 

この記事は元のがあまりにも詳細に書きすぎていたため再編集しました(汗)


何年か前に、今後受けたい授業は何ですか?って質問に、心理専攻してるくせに、オホーツク文化だの、続縄文文化だの、擦文文化だの、トビニタイ文化だの書きまくったさ(しかも青森の面接授業の時にwww)

その後、卒業したのに院の科目に手を出したり、学部に戻ったり、細々と学生続けてましたから、面接授業も受けられる身なわけでして。

まぁ~、お金もないし、受けたいなぁって思うのもないだろうなぁ~と思いつつ、今学期の授業をチェックしてましたら。

飛鳥の父さんが「これ、お前リクエストしたんだろう?こんな授業お前しか書かない。」とか言われて、見てみると、「オホーツク文化とモヨロ貝塚」へぇ~、リクエスト通ることあるんだ~。でも、今は頭が心理になっているし、どうしようかなぁ。

結構考えたけど、せっかくだから受けることにしましたとも。

去年新しくなったモヨロ貝塚館

去年放送大学の北海道学習センター長がこちらを訪問した際に

「札幌で宣伝しませんか?」

「 はい! 」

「実は8コマ授業するんですけど。」

「 (絶句) 」

「いつ頃がいいですか?」

「なるべく遅くしてください~~~orz]

って感じだったらしいです。

SCN_0001.jpg

パンフをダウンロードして、印刷してスキャンしました(汗

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さて、授業はモヨロ貝塚の発見から始まって住居、暮らしの道具、お墓、食、祈り、人々、その社会と終焉などを学んでいきます。(興味のない方はここから キ リ ト リ )
――――――――――――――キ――リ――ト――リ――――――――――――――

米村先生のおじい様(青森出身)が子どもの頃おばあ様から昔話をいろいろ聞いていて考古学に興味を持たれたところから始まるようで、、、。高等小学校で「考古学雑誌」などの専門誌を愛読、、、。日露戦争勃発で床屋さんの徒弟に。6年の年期が明けて上京。本の街神田の理髪店で働き、考古学会やら人類学会の会合に出席するうちに、東大教授の鳥居龍蔵氏の知遇を得、、、、、。鳥居先生の研究の中でも「千島アイヌ」に興味を持ち、20歳の時に、バリカンと「千島アイヌ」を持って、上野駅から北へ旅立った。函館にて道内の情報を集めつつ1年働き、前年開通したばかりの列車に乗って終点の網走まで、、、。駅に降り立ったその足で散策した時にモヨロ貝塚を発見したとか、、、。

日本のシュリーマンですかね。日本では相沢忠洋か米村喜男衛か、って人だったのですねぇ。あー、すいません。知りませんでした。10年位前に古いモヨロ貝塚館の時に行ったんですけど、、、、orz
参考書の北辺の海の民・モヨロ貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)を読むまでは、この授業でこんなわくわくする話が待っているとは知りませんでしたよ。

そもそもオホーツク文化とはなんじゃいな?な方に、ご説明を。
北海道、オホーツク海沿岸地域に広がる5世紀~9世紀の間の古代文化で、本州でいうと古墳時代から奈良平安時代位に相当します。北海に活きた海洋狩猟民です。
nenpyo.jpg
本州と北海道はこんなに違いますよ。
chizu.jpg
オホーツク文化の遺跡たち。

ここから先はあまりにも長いので省略。
知りたい人はコメントしてください(笑)

おじい様もお父様も、家では仕事の話をしなかったそうで、奥様達は旦那様が何をされているのかあまり知らなかったということで~。
え~~~、あたしなら一緒に掘ってますけどwww

この授業を受け終わった途端に、網走、北見に行きたい病発症ちう。
モヨロ貝塚館
オホーツク観光連盟
ところ遺跡の森

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